山本果歩

シンガーソングライターのつもり。
大学で作曲学んでいます。

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サマーランドの思い出

昨年の今日、2017年9月29日はサマーランドへ行ったらしい。たしか海へドライブへ行こうという話になり、それを「夏過ぎの海はクラゲが多い」という理由で私が却下したことからサマーランド行きが決まったと記憶している。(ちなみに私は人生でクラゲに2回刺されている。しかもサマーランドならドライブの意味が無いという結論に至り、結局電車で行った。申し訳ない。)ここでの一番の思い出はダントツで、「dobonという水深2.5メートルのプールに突き落とされるウォータースライダーで危うく水死しかけた」ことだ。私は9歳まで金槌だった。それ以降は年齢と共に多少(授業で恥ずかしくないくらいには)泳げるようになり、10歳の時は短期の水泳教室に通ってみたりと、なんとなく水とは親睦を深められたかな、と思っていたがその程度の泳力でdobonにトライした22歳の私は最高にマヌケだったと、事件(笑)から一年たった今も猛省している。あの日私は、dobonについて係の人から説明を受けた時に水深2.5メートルという数字を聞いても全く恐ろしく思わなかった。今まで足のつかないプールに入ったことはなかったのに。これが、いわゆるサマーランドマジックなのか?(そんなもの聞いたことない)片手は胸の前、片手は鼻をつまんで、自分のタイミングでどうぞ!みたいな説明を聞いたあと、すぐにドボンの時はきた。説明通りの格好で私は滑り台を滑り、いざ水深2.5メートルへ!ボコボコという自分の息を吐く音だけが聞こえて、身体はゆっくりと沈む。正直この瞬間はどことなく気持ちが良くて、プールの底で一人とても神秘的な雰囲気に包まれていた。身体は不思議なもので自然と浮いてきて、水面が見えてきた。おお、人間ってうまく出来ている。こうやって浮かんでくるのか。すごいなあとか感動していたのも束の間、いざ岸へ泳ごうとすると、まあなんと不思議なことか身体がまた沈んでゆくではないか。沈んでは頭を出し、また沈んでは頭を出し、それでもどうにか泳ごうと両手はじたばたしている。そう、この時の私は見事に絵に描いたような溺れっぷりだった。泳ぎのフォームは知らないけれど、溺れのフォームは多分日本一を争える。結局、係の方が浮き具を投げてくださり、無事に岸へ帰還した。水を飲んで咳き込む私に「大丈夫ですか?」というならもっと早く浮き具を投げてくれ!!と心の中で絶叫した。多分早急に投げてくれたはずだが、溺れた本人にはこの数秒が一生に感じた故。楽しさは脳の大事な部分に麻酔をかける。そんな時に冷静にものを判断できる者が生き残り、なんとなく流されてしまう者がレースから脱落するのではないかという人生ゲームの縮図みたいなものをうっすらと見た気がした。ちなみにこの時の私は完全に後者であるということは言うまでもない。そんなわけで、2017年の夏の思い出はこの出来事が全てさらって行った。サマーランドへ行ったのは夏ではなかったが、この先、2017年の夏を思い出すことがあれば、真っ先にこの事件(笑)を思い出すだろう。

パラサイト・シングルという言葉が怖い

パラサイト・シングルという言葉が怖い。無駄にちょっと響きがかっこいいから、この言葉の上にあぐらをかいてしまいそうになる。パラサイト・シングルを辞書で調べる限り、私は今のところゴリッゴリのパラサイト・シングルなのだが、これはいっそのことニートの方が潔い感じがする。世間体をそこそこ維持しつつ実家というぬるま湯に浸かり続けるそれはかなりタチが悪い生き物だなと(自分のことながら)思った。それに付随して最近、実家住みは婚期を逃しがち、みたいなこともちらっとどこかで読んだ。そんなん人それぞれだ、と言われればそれまでだが、自分がこんなであるがためになんだか信憑性が高い話に感じてしまう。でも、ジェーン・スーさんの本を読む限り独身を貫くことも決して悪くないな、とか思ってしまって、もうこれはだめだ。他人は他人で、自分は自分、独身で素敵に生きている人がいるからって自分がそうとは限らないのに。(逆もまた然り)ごちゃごちゃ書いていますが私は別に結婚に焦っているわけでもなく、現状に焦っているわけでもなく、(強いて言えば焦っていないことに焦っている)なんていうか、誰かが素敵だからといって自分が同じことをしても決して素敵にはならないということをそろそろ認めた方がいいと思っているわけです。いろんなものにパーっと憧れて、ふらふらそっちへ行ってしまう性格をどうにかしたほうがよいと思っているわけです。なんかすみません。パラサイトが偉そうに。